Friday 30 March 2012

願望。これもツイートから。

こうあればよいな、という話。

社会起業家とかノマドとかいう言葉はバズワードぽくて素直に好きにはなれないけれど、快適な地域に暮らしたいとか助け合いの仕組みを作って困ってる人を減らしたいとか、こうありあい生活を実現するために自分が行動を起こして生活も成り立つならうれしいことだなと思う。

ぼくはほんとに馬鹿なので単純にしか考えられないのだけど、高齢化が進んで、教育の質が問題で、地域のつながりが崩壊していて、みんな仕事がないなら、困ってる人を助けることが仕事になればみんな万歳じゃないかと。問題はお金がどこにあるのか、と。

地域に根ざした塾とか飲食店とか介護とか好きなんだよな、あんまり儲からないだろうけど。ボストン・ケンブリッジ界隈のパブとかも社交場だから好き。もっとローカルに根ざした仕事で生活が成り立つ仕組みがあればなあと。

日本の製造業を守れとかっていうけど、ああいう大きなビジネスはグローバルな視点で考えたら日本に残る部分は結構限定的になるんじゃないのかと思っていて、それなら日本人も可能な人は海外へどんどん出て、そうじゃない人はローカルじゃなきゃできない仕事で生計が立てばと思う。

例えば朝にフリーランスで知り合いから業務を請け負って、昼間に近所の人のご用聞きをして、夕方に塾で子供に英語とか受験勉強を教えて、たまに進学・留学相談とか乗って、週末には近所の憩いの場を兼ねた市場を運営できたら、気分は充実するよなと。

どんだけ持続可能なのかが問題だけど。競合の出現、体力、気力、収益率、想定外のリスクとか。でも、なにが起こるか分からないのはどんな大きな企業に入っても一緒だよな(と学部を卒業する頃に考えて設立3年目の会社に勤めたわけだが)

一回いわゆる企業勤めをしとくといいと思うのは、忙しさとストレスへの耐性が付くこと(身体壊さない程度にね)、ビジネスって社会貢献してんのね(無いと困るという意味で)と分かること、利益を出すって大変だとかお金扱う知識は大切だとか感じられること、とか。

へたれ(関西弁)なこと言えば、自分のパフォーマンスがぐだぐだな時にも食べてける給料もらえるし、ちゃんとした企業なら年金など将来の準備の面倒も見てくれるので、それは良いと言えば良いのだが(次、暴言になります)

食いっ逸れないために到底やりたくない仕事を人生にしちゃうなら「君の人生の目的は食いっ逸れないことか」と乱暴なこと言われてもせいぜいふぁっくゆーとかしか言い返せない。挙句、身体や心を壊したら当初の計画もおじゃん。

一生懸命はたらくことは尊いと思う。厳しいビジネス環境の中でがんばってる人は偉いと思う(あれ?ぼくは?)。その半分も努力しないで楽したいオーラ出しまくってる人は嫌い。でも、健康であることとか家族とか周りが幸せであること、良い関係が築けていることはもっと大事。

忙しくて、がんばってて、やりがい感じてる人ほど危険なんだって。他のものを見る時間とこころの余裕がなくなってるから。充実しているときにこそ、人は環境に流されるんだから。

RT @asobushooter 食いっぱぐれたらもっと心身に悪影響があるんじゃねーですか。僕は奥さんも働いてるし親も働いてるし十分セーフティーネットはあると思ってたけど、収入が安定したことによる精神の安定半端ないと思いました。「食いっぱぐれる」よりも「食いっぱぐれそう」がきつい

これとても分かるんだよね。でもどうしたら良いかはよく分からない。このプレッシャーというか恐怖感がよくも悪くもいろんな原動力になってる気はする。 RT @asobushooter:「食いっぱぐれる」よりも「食いっぱぐれそう」がきついかな

閉じたコミュニティの中でのピアプレッシャー(相互監視圧力・同調圧力的な意味)ってすごいものがあると思う。新しいライフスタイルとか新しいビジネスへの「けしからん」「そんなはずはない」って反動はここからくるんだろうなあと。

良い面もあるんだけどね。周囲の目があることで正しい行動をとることに対するインセンティブが働くとか(良い人だと思われる、気分良い、信頼される)、その結果規律の正しいコミュニティが生まれるとか。

多様性のある社会というか、元からヤツとオレは違うという前提に立ったコミィニティだと、誰かが変なことしても放っておいてくれるから、自分が「ただしい」と思ったことがやりやすい。ただし結果は自己責任。

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